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2000年夏のはなし

我家の記録としてここに残しておこうと思いました。
全く私的なメモのようなものなので訳が分からないことも多いし面白くないし長いし^^;
なので読み飛ばしてください(笑)
                                                                                     

                                                                          

「原発性胆汁性肝硬変」(PBC)

これが夫が私と結婚する以前から持っていた病名です。
原因は今もって不明。よって難病(特定疾患)に認定されています。
発症は20代。この病気は中年以降の女性に圧倒的に多く当時20代の男性には
非常に珍しいと言われました。

多くの場合皮膚の痒みや全身の倦怠感などで受診して判明することが多いようです。
夫の場合はたまたま蕁麻疹が出て近所の病院を受診、その際の血液検査で
わかりました。

原因が不明なので治療法も確立されておらず対症療法となります。
夫も発症からこれまで様々な薬を服用してきました。
「新しく開発された薬」「これが効くと学会で報告があった」等々・・。
お医者様も手探りのように感じました。

                                                                        

そのような内科的治療の一方、将来的には『肝臓移植』しかない。
これがお医者様の考えでした。
当時「移植医療」はまだまだ一般的ではありませんでした。
当然の事実のように移植の話をする医者側と私たち患者、家族の間にはかなりの
温度差があったように思います。

でもその時夫の肝臓はあと10年で使い物にならなくなる。つまり移植をしなければ
それがそのまま夫の寿命となる、と宣告されたことになります。

                                                      

「沈黙の臓器」

俗にそう言われるように肝臓は直接痛みを感じないのでかなり悪くなっていても
気付かなかったり通常の生活を送ることができる場合もあります。
夫の場合も発病後仕事も営業から内勤に変わったものの通常通りの勤務を
続けていました。本人が言わない限りは気付かれることもなかったと思います。

病を宣告されてから10年、生来の楽観主義も手伝って普通の人と同じように
楽しいことも辛いことも味わいながら過ごしてきました。
途中から結婚によってそれに加わった私も同じです。

思えば楽天夫婦です。
でもこの楽天的な性格こそが夫の命をつなぎとめたのだと思っています。
多分ネガティブだったら病気そのものよりも早くに精神的に参っていたでしょう。
それほどに病気の進行を意識させる小さな症状は日々増えていきました。

黄疸による顔色の悪さ、特に目の色は見て分かるほどに黄色になりました。
ズボンがきつくなり、太った?なんてふざけたものの腹水によりお腹が膨れて
いるせいと分かっていました。
鼻血が頻繁に出てしかもなかなか出血が止まらないのは血小板が減少しているせい。
皮膚の痒みもひどくなり夫の背中を掻いてやるのは既に日課でした。
その背中にはクモ状血管腫と呼ばれる肝臓病特有の赤い斑点がたくさん
浮き出ていて、日々数が増えていきます。

他にも倦怠感、身体のきつさ等本人にしか分からない辛いことはたくさんあったと
思います。

胃からの出血で救急車で緊急入院しそのまま胃と食道静脈瘤の治療で3ヶ月入院
したこともあります。
肝臓が悪くなると血流が滞り内圧が上昇します。その結果、胃や食道の粘膜に
血液のコブができます。それが「静脈瘤」です。

このコブが破裂すれば大量出血を起こし命に関わることも少なくありません。
夫はたまたま破裂する前に病院に運ばれたので命拾いをしました。

「俺は強運の持ち主」

夫が今もよく口にする言葉ですが本当にそうかもしれません。
そのおかげで私も何度も「未亡人の危機」を乗り越えました(笑)

                                                                  

そんな風に毎日病気と向き合いながら10年を過ごしました。
その間に生体肝移植もだんだんと症例数も増え臓器移植法が制定されて
ニュースで度々取り上げられるようにもなりました。

脳死からの移植の道も考え京都大学まで行き臓器移植ネットワークに待機患者
として登録もしました。

しかしその一年後、夫の肝臓は音を上げたのです。

                                                              

「生体肝移植」

その年の6月急激に悪化した病はもはやとどまるところを知らずあっという間に
抜き差しならない状態になりました。
夜中に何度も主治医の携帯に電話をかけたりかかりつけの病院にタクシーで
急行したり、もう毎日毎夜が緊張の連続でした。

この頃になると夫は「もう移植しかない」と思い極めていたようです。
しかし私はこの期に及んでもまだ迷いがありました。

「本当に移植が最善の道なのか」

当たり前のことですがどんな手術であれ100%成功するとは限りません。
しかも臓器を丸ごと取り出してしまうなんて・・・。

今思えば、単に怖かったのだと思います。
手術によって夫を喪ってしまうかもしれない、という恐怖に取り付かれていました。

しかし主治医の口からこのままだと

「3ヵ月後の生存確率0%」

と聞かされたときに心が決まりました。
このまま待っていたら夫は確実に死ぬ。
それなら生きる道を、生きる可能性がある道を選択するのは当然だ!

                                                                 

7月5日、長崎大学病院に入院。
主治医の先生から肝臓移植専門の良い先生が新しく長崎に来たから、という
紹介をいただき深く考えずに長崎大で手術することになりました。
しかしこの選択は大正解だったのです。

その先生は本当に素晴らしい先生でした。
初めて会った時に信頼感を覚えました。他のスタッフの方々も皆親切で
長崎大にして良かったと思っています。

肝臓を提供してくれるドナーには夫の弟が快く申し出てくれました。
肝臓移植は実は他人でも血液型が違っても可能です。
それを知った時、私は自分がドナーとなって夫を助けたいと強く思いました。
しかし、もちろん血液型が同じでさらに血縁である方が成功率もその後の
拒絶反応を考えた予後も一番いいのです。

しかしどこも悪くない、健康な身体を傷つけ肝臓の一部を切り取ることが
身体的にも精神的にもどれだけ負担になるか、計り知れません。

これは後の話になりますが、私は手術後回復するまでの辛い様子は夫のそれよりも
弟の姿に涙があふれて止まりませんでした。
弟にはただただ感謝しています。

                                                            

「2000・8・7」

この日付を手術日として告げられた時の私たち夫婦の驚きは格別なものが
ありました。
この日は夫の36回目の誕生日。その上私たち夫婦の入籍記念日でもあります。
奇しくもこの日が手術日として選ばれたことに何か運命のようなものを感じ
きっとうまくいく!という確信めいたものを覚えました。

手術日当日、全身を消毒されストレッチャーに乗せられ運ばれる夫を1人
手術室の前まで見送りました。

「がんばって」

軽く手を振り自動扉の向こうに消える夫の姿を見つめていました。
もしも、もしも・・万が一術中になにかあればこれが夫との最後になる。
そんな考えが一瞬でも浮かばなかったと言えば嘘になります。
でもやはり信じていました。

夫は必ず無事に戻ってくる!

手術が終わるのを待っていた時間のなんと長く、そしてあっという間であったことか。
早く終わって欲しい、でも長くかかるのはうまくいっている証拠だ・・。
自分に言い聞かせ、ひたすら待っていました。

全て終了した、と連絡が入ったのは深夜1時半。
朝9時に手術室に運ばれてから実に16時間以上に及ぶ手術でした。
午前3時半にICUへ移され、午前4時半にやっと面会できました。

もちろん夫に意識はありません。ICUの中でも特別に密室になっている部屋に
たくさんの管に繋がれ静かに横たわる夫を隣の処置室のような場所から
ガラス越しに見つめました。

無事に終わった。
胸の内で「お疲れ様でした」と声をかけました。

意識が戻ったのは2日後の8/9でした。
ICUへの面会は午前と午後の一日2回、決められた時間のみです。
9日の午前の面会で初めて意識がしっかりとある夫に会いました。
ガラスの向こうで手を振ってガッツポーズをする夫。
嬉しさがこみ上げました。

同じ日の午後の面会では呼吸器が外れていて声が聞けました。
インターホンごしにまだ発声しにくそうな、でも案外と力強い声が届きました。

第一声は 「大丈夫。」 ついで、「○○(弟の名前)はいますか?」
ドナーとなってくれた弟を気遣う言葉を聞いた時、私は手術後に初めて
涙が溢れました。
夫が帰ってきた。そう思いました。

                                                            

その後、退院するまでも本人が精神的に不安定だったり拒絶反応とみられる症状が
出て夜に急に検査が入ったりといろいろありましたが概ね経過は順調で
9/14、無事に退院できました。

                                                           

それから7年、夫はびっくりするほど「普通」です。
12時間ごとに免疫抑制剤を服用しなくてはいけませんがそれ以外にはほとんど
何の規制もなくお酒も飲むし軽い運動だって大丈夫。
強いて言うならグレープフルーツが食べられませんが^^;
これは薬との相性がよくない為。薬の作用が強く効き過ぎる?んだとか。
ちなみに普通の風邪薬でもそんな事があるらしいので薬を飲んでるときは
グレープフルーツは食べない方がいいそうです。

                                                        

退院後、自宅療養、リハビリを経て仕事を探しはじめました。
(前職は手術の前年に辞めていました)
若くもないし病歴、しかも肝臓移植患者というある意味特異な経歴の持ち主と
なったので仕事が見つかるかという不安はありました。
事実なかなか決まらず夫は焦りでイライラとした日々もありましたが
私は「なんとかなるさ~」と思っていました。
だってイライラするのも生きてればこそ。たった何ヶ月前、死に掛けていたことを
思えばなんてことない、なんだって出来るよ、2人で笑いました。

結局丸2年間無職状態でしたが結構楽しい時間でした(笑)
その後、仕事も決まり生活のペースも出来てきた矢先思いがけず
長男を授かりました。
子供は諦めていた、というか自分は子供のいない人生を歩むのだろうな~と
なんとはなしに思っていたので本当に驚愕の授かりものでした。

                                                          

今、次男も生まれ家族4人。
こんな普通な幸せがくるとはあの頃は思ってもいませんでした。

病気を抱えて生きるのはそれ自体不幸ではないにしてもやはり大変です。
夫の闘病生活を一緒に生きてきて思うこと、学んだこと、辛かったこと、嬉しかったこと
たくさんの経験をしました。

                                                              

生体肝移植に関しては健康な人にメスを入れるという倫理的な問題から
賛否は分かれるところです。
しかし今、夫が生きているのは、私たち家族が子供たちがここに在るのは
この手術のおかげに他なりません。

                                                                

感謝します。
医学の進歩に、出会いに、私たちを支えてくれた周りの方々に、
ドナーとなってくれた弟に、諦めずに戦ってくれた夫に。

今も感謝し続けています。

「普通な日」に。

                                                                

                                                          

                                                                                                

                                                       

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コメント

普通な日が実は幸せなんですよね。普通を失って初めて分かる。普通が幸せだってことを。
生体肝移植、大成功してよかったですね。本当に強運の持ち主みたいで。(^^

じっくり読みました。
とっても難しい話しだけど、愛を感じちゃったな~(*^_^*)夫婦愛、家族愛、兄弟愛。。
+-0の、普通な毎日。
これがいかに幸せかってこと、、、
つい忘れてしまいます。。。(^_^;)
夏休みは続く・・・

♪satoshisさんへ♪
普通が幸せ。本当にそう思います。
satoshisさんが言うと心に沁みるなぁ・・・。

ウチの旦那はもう一生分の運を使い果たしたかも^^;

♪みぃちゃんへ♪
長々と読んでくれてありがと~。

幸せも慣れちゃうと当たり前になっちゃうのよね。
常々感謝の気持ちを忘れないように・・したいけど
現実は小さなことでぶちぶち文句言ってます^^;
それも幸せかーー(笑)

とりあえず今の不満は夏休み??
不満解消の為にも遊んで~~~。

強運の人は、どんどん幸運を招くんですよ。だから使い果たすなんてことはありません。ご心配なく。
手術に成功したあと、子供だって二人もできとるやん。
これからリーさん家族にいいことがたくさん起こりますように!

りーさんの明るさからそんなことがあっただなんて想像つかないよ(:_;) ほんとに手術も上手くいって良かった!
たかちゃんが生まれたから私もりーさんと友達になれたし(^-^)
いろんなことに感謝ですね

ドラマのようなことが現実にあったんだね。
旦那さんが元気になって本当によかった。
普通な毎日が一番幸せなんだね。
今日はちょっと家族に優しくしてあげれそう。夏休み入って怒ってばかりだったけど。

お久です^^

ご主人が大病をされたとは聞いていましたが
こういう事だったんですね。
この記事で色んな話が繋がりました。

ほんと、普通が幸せなんですよね。
当たり前になって忘れちゃいがちですが^^;
私も今普通に暮らせている事に感謝するのを
忘れてました。
命の恩人、娘への感謝も忘れてたし(苦笑)
リーさんのお陰で忘れかけていた感謝の気持ちを
想い出す事が出来ました。
ありがとう☆

これからも何の事ない普通の日が続きますように…。

まだ、7年しか経っていないんですね。
旦那さまもすっかり元気だし、
たかくんもよしくんも産まれてるからか
もっともっと経っている気がしてしまう。


普通な日、これからもずっと。


そうそう、オウチ見たいって言ってくれたのに
まだ開けていなくてすみませんでした。
物件確認も終わったから今度はぜひに。

♪satoshisさんへ♪
そっかー(^-^)
幸運を招く、そうありたいものですね☆
嬉しいな。ありがとうございます。

あと、幸運を招くかどうかは自分の考え方、姿勢次第という気もしますよね。
幸運を逃さないよう前を向いていきたいと思います^^

♪えりたこちゃんへ♪
そうそう、そのおかげでえりちゃんはじめ、たくさんの
素敵な友達が出来たわー。
感謝、感謝(^O^)

♪junyさんへ♪
そうそう、普通がイチバン☆
でもー、私も毎日怒ってばっかよ^^;
夏休み、早く終われ~~。

♪ヨーコさんへ♪
おひさ~~~!元気?

ええ、こういうことだったんです(笑)
そうだった、娘ちゃんは命の恩人だったね!
人生イロイロ。。だねぇ~(^_^)
だから面白い。
これからも普通な毎日を楽しみましょう☆

♪mikeちゃんへ♪
そうね、もう遠い昔のような、でも昨日のことのような・・だわ^^

この前はこちらこそ突然でごめんね。
なんか外野の方が盛り上がってて申し訳ないわ^^;
つい嬉しくてね。
お宅訪問、楽しみにしてます☆

ほんとすごい経験をしたよね。今はそうとは思えないくらいダンナさん元気いっぱいだよね(*^_^*)
そういう経験をすると“普通”がすごく有難いってことがわかるよね。私も母の時、すごく感じたわ。健康がなにより一番。普通は最高の幸せ!

♪aya**ちゃんへ♪
元気いっぱいだね、ホント^^;
嘘みたいだわ。
ありがたや、ありがたや。

平凡な日々の有難味がわかるってだけでも幸せなことだよね(^-^)

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